福岡高等裁判所 平成2年(ネ)600号 判決 1991年3月05日
主文
原判決を次のとおり変更する。被控訴人は、控訴人甲野花子に対して金二二〇万円、同甲野一郎及び同甲野春子に対して各金一一〇万円、同甲野松子に対して金二五三万円並びにこれらに対する昭和六二年四月三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。
控訴人らのその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを三分し、その一を被控訴人の負担、その二を控訴人らの連帯負担とする。
理由
【事 実】
一 控訴人らは「原判決を取り消す。被控訴人は、控訴人甲野花子に対して金七〇〇万円、同甲野一郎及び同甲野春子に対して各金三五〇万円、同甲野松子に対して金三三〇万円並びにこれらに対する昭和六二年四月三日から完済まで年五分の割合による金員を支払え(控訴人甲野松子を除く控訴人らは請求を減縮。)。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴をいずれも棄却する。控訴費用は控訴人らの負担とする。」との判決を求めた。
二 主張の関係は、原判決五枚目裏初行の「被告に対し、」の次に「民法四一五条及び同法七〇九条に基づき、」を加えるほか、原判決事実摘示記載と同じであるからこれを引用する。
三 《証拠関係略》
【理 由】
一 当事者、太郎の死亡事故、被控訴人の責任の有無に関する前提事実についての当裁判所の認定は、以下のとおり加除し、改めるほか、原判決八枚目表五行目から一二枚目裏一〇行目末尾までの記載と同じであるからこれを引用する。
1 原判決八枚目裏三行目の「第八号証、」の次に「《証拠略》」を、四行目の「一ないし一〇」の次に「(《証拠略》)」を加える。
2 九枚目表一〇行目の「戻り、」の次に「午後二時四五分頃(この間の外出時間は約二時間余)」を、同枚目裏二行目の「定例」の次に「(毎週木曜日一三時から一五時まで)を加え、三行目の「さらに」から六行目の「はなく、」までを削り、同行目の「凶行後」の次に「、ナースステーションの窓ガラスごしに走り去る太郎と乙山の姿を見た直後、悲鳴を聞き、」を加え、七行目の「殺傷」を「加害」と改める。
3 一〇枚目表六行目の「(不作為)」の次に「、不法行為」を加え、一二行目の「《証拠略》」を「《証拠略》」と、同枚目裏五行目の「約八九名」を「八八名」と改め、七行目の「約」を削り、八行目の「正看護婦」から九行目の「約」までを「看護婦、看護士」と、一〇行目の「看護していたが、」から一一行目末尾までを「看護していた。」と改める。
4 一一枚目表七行目末尾に「、」を加え、一二行目の「病院」から同枚目裏初行末尾までを「外出の場合も平日は医師の許可を要し、看護婦等が行き先、時間、連絡先を聞いてナースステーションに備えつけの外出簿に外出患者の氏名、行き先、出発時刻を記入し、帰院したときはその時刻を記入し、帰院を確認した看護婦等がサインする仕組みになつていたが、病院の近隣五〇〇メートル前後であれば、事実上外出簿に記入するのを省略する扱いであつた。」と改め、三行目の「られ」を削り、五行目の「しかし」を「三病棟は構造上、患者が看護婦等に無断で自由に外出できるようになつており」と改める。
5 一二枚目表二行目の「消退し」を「消え(ただし、後記のとおり、昭和六二年一月二七日、主治医に対して幻聴を訴えていたこともある。)」と改め、一〇行目の「昭和六二年」の次に「一月二七日、右医師に対して『電波が入つとつた』と言つて幻聴があることを訴えていたこと、」を加え、一二行目から末行にかけての「の二点であつた。しかし」までを「等があつたが」と、同枚目裏六行目の「一月以降」から七行目の「深刻なものではなく」までを「一月は、四日、一二日、一七日、二〇日、二月は、二二日、二三日、二四日、二七日、二八日と不眠を訴え、睡眠薬の投薬を受けて服用していたが」と改め、八行目の「一日、」を削る。
二 被控訴人の責任の有無
そこで、被控訴人の責任の有無について判断するに、精神病院における開放式治療を施す患者の選択やその治療内容、管理方法についての認定、判断は、原判決一二枚目裏一一行目の「ところで」から一三枚目裏五行目の「ものである。」までの記載と同じ(ただし、一二枚目裏一一行目から一二行目にかけての「《証拠略》」を「《証拠略》」と改める。)であるからこれを引用する。
ところで、《証拠略》(日野原重明総監修「精神障害・心身症看護マニュアル」)によれば、病院内での身体の安全に対する欲求は人間の基本的欲求のひとつであること、精神病院における患者は正しい判断ができないか又はできにくい状態にある場合もあり、開放病棟患者か閉鎖病棟患者かに関係なく、精神症状(幻覚、妄想、興奮等)や性格などから他の患者や職員に対して暴行傷害行為に及ぶことがあり、外出や外泊からの帰院時に持ち込まれた危険物が凶器と化すことが認められ、また、患者も自分自身で身の安全を図るに十分でないことがあるから、精神病院管理者が患者の立場に立つた管理体制を敷き、もつて、患者の身体の安全に配慮する義務を履行することは、治療の必要不可欠な前提条件となるものと解される。とりわけ、重大な結果を招き兼ねない凶器による傷害行為を防止するために、精神病院の管理者は、患者に刃物等の危険物を所持させてはならないものというべきである。その観点からも、入院患者の外出及び帰院を把握し(外出や外泊の許可を医師の判断に委ね、外出先や外泊先のみならず、離院時刻、帰院時刻を病院側で明確に把握し、もつて、無断離院、帰院ができないようにする管理体制をとるのはその一方法である。同病院の看護士山本喜久雄も入院患者の所在を二四時間把握しておくべきことを証言している。)、もつて、無断で離院していた時を含め、帰院時には危険物の持込み、少なくとも刃物の持込みがないかどうか検査すべき義務があるものと解するのが相当である。こうして初めて安心の上、入院患者は相互に入院治療に専念でき、その家族も入院させることができるのみならず、開放病棟患者の治療に対する近隣住民の理解も確保できるものと解される。もちろん、病院側の事故を恐れるあまりの行き過ぎた管理、検査は、逆に患者の離院を促す要因にもなり、また、検査のやり方次第では患者の人権を侵す恐れもあるから、その病棟にふさわしい管理体制を工夫する必要と、各患者の症状と人柄を的確に把握したうえでの慎重な対応が望まれる。それら具体的状況に応じて、右義務履行の程度、方法に軽重の差はあるとしても、開放病棟患者の外出、所持品検査に際して患者の自主性を重んじることと放任とは異なるのであるから、開放病棟患者であるからといつて、精神病院管理者の右義務が全くなくなる道理は見出せず、右義務を肯定することと前記開放式治療とは両立しうるものと解される。《証拠略》によれば、被控訴人作成の「入院のしおり」において、被控訴人は危険物の持ち込みを禁止していることが認められ、《証拠略》によれば、同じく被控訴人作成の「精神科看護必携」において、被控訴人病院における看護者に対する指針として、外出や外泊が患者の社会復帰を促す上で重要な治療の一環であることを指摘しながら、外出や外泊は医師の指示によることとし、帰院に際しては、外出や外泊期間中の患者の状態を家族にたずね、必要があればこれを医師に伝えること、同時にマッチ、刃物、その他の危険物の持ち込みに注意すること、無断離院、自傷他害、けんか等の事故は、いずれも看護者の観察力や注意によつて防止できる場合が多いこと等を明示していること、かつ、前記認定のとおり被控訴人病院では同文書の趣旨に従つて外出や外泊は医師の許可を受けるように運用し(ただし、被控訴人病院の近隣五〇〇メートル前後であれば、事実上外出簿に記入を省略する取扱をしていたが、同文書中にはかかる取扱を示唆するような記載はない。しかし、右取扱も事実上外出簿に記入を省略していただけで、看護婦等が右取扱に該当するかどうかを患者から聞いて判断していたことであるから、放任していたわけではない。)、刃物等の危険物の持込みを厳禁し、院内での刃物等の使用も、病院側の厳重な管理のもとにおいていたこと、患者による院内売店でのカミソリ等の危険物の購入があつた際は、売店からナースステーションに連絡があり、看護婦等により保管されるように運用されていたことは、被控訴人の理解もほぼ同様であつたことの証左と解される。
そして、かかる観点から、本件事故時の、被控訴人病院における患者に対する右義務の履行の有無について検討するに、本件事故は、開放病棟患者の乙山が約二時間余の無断外出をし、果物ナイフを買つて持ち帰り、程なくして院内の入院患者間に生じたものであるが、被控訴人関係者の誰もが、乙山の外出及び帰院のいずれにも気付かなかつたのであるから、同人の帰院に際して前記「精神科看護必携」に基づく所持品検査をしなかつたのも必然であつた。そうすると、同人が故意に被控訴人関係者にわからないようにして外出し、かつ、帰院したという特段の事情があれば格別、かような事情を認めるに足りる証拠がない本件では、被控訴人病院においては、乙山の外出及び帰院を把握すべき注意義務に違反し、もつて、帰院時の危険物の持込み、少なくとも刃物の持込みがないかどうかを検査すべき義務を怠つた過失があつたと解さざるを得ない。(前記引用にかかる訂正後の原判決理由三、2、(三)の認定事実に《証拠略》を合わせれば、被控訴人病院における三病棟は構造上、患者の無断外出が容易にできたものと認められるから、乙山がこれを利用して無断外出し、約二時間余り後に病院関係者が知りえない状態で帰院することができたこと自体が、精神病院管理者の管理体制不十分のゆえに、他患者の身体の安全に配慮する義務を怠つたものとも解される。)もし、被控訴人関係者の誰かが乙山の外出及び帰院のいずれかに気付いてさえいれば、前記「精神科看護必携」に従つて帰院時の危険物の所持品検査を当然に実施し得た筈であり、そうであれば、同人が本件事故の凶器となつた果物ナイフを所持していたことに気付き、本件事故を未然に防止しえた可能性は大であつたと推測されるから(原審証人中庭洋一は、乙山のような精神分裂病患者は、一般に自我が薄いので、嘘をつく能力はあまりないと証言している。)、右注意義務違反と、本件事故の発生には相当因果関係があると認められる。
したがつて、被控訴人は本件事故によつて生じた太郎の損害を民法四一五条及び同法七〇九条に基づき賠償すべき責任がある。
三 太郎の損害について
1 太郎の逸失利益
控訴人らは、太郎に逸失利益があつた旨主張するが、前記認定の事実と、《証拠略》を総合すれば、昭和一二年三月一一日生まれの太郎は昭和四六年以来本件事故に遭遇するまで、痔疾患手術による一時的、短期間の他院での入院治療期間中を挟んで、精神分裂病により約一六年にわたつて被控訴人病院で入院治療を継続し、入院に際しては同人の実姉であり未婚の控訴人甲野松子(昭和一〇年一二月一三日生)が保護責任者となつて、入院中の面会は同控訴人が月に一、二回赴き、時には太郎が日曜日に日帰りで同控訴人の自宅に来ていたこと、太郎の妻の控訴人甲野花子、長男の控訴人甲野一郎(昭和三七年一月一七日生)、長女の控訴人甲野春子(昭和四〇年一二月二日生)らとの連絡は入院以来、全くといつていいほど途絶え、控訴人甲野松子の庇護がなければ、太郎の将来の生活設計もたたない関係にあり、本訴訟も実質は同控訴人が遂行し、その余の控訴人らは控訴人松子に全面的に任せていること、入院後五、六年後に太郎と控訴人甲野花子の離婚話もでたことがあつたが成立しないまま時間が経過したこと、太郎死亡による葬式も控訴人甲野松子が主宰し、同甲野花子、同甲野一郎及び同甲野春子は参列しなかつたこと(もつとも、太郎の妻子に葬式の連絡が可能であつたかどうか、連絡が行われたかどうかの証拠はない。)、太郎は開放病棟での治療を継続中であつたとはいえ、退院の具体的見込みを肯認するに足りる証拠はないこと、以上の点を彼此斟酌すると、同人において将来稼働可能であつたことを認めるには足りないから、その余の点について判断するまでもなく、右逸失利益の主張は採用できない。
2 太郎の死亡による慰謝料
前記認定の本件事故の態様、被控訴人の過失の内容、太郎の病気の症状その他諸般の事情を総合すれば、同人が本件事故により被控訴人に請求できる慰謝料としては四〇〇万円をもつて相当と認める。
そして、右1認定の事実によれば、同慰謝料は、相続により控訴人甲野花子が二〇〇万円、同甲野一郎及び同甲野春子が各一〇〇万円を取得することになる。
四 控訴人甲野松子の損害
1 右三、1の認定事実によれば、太郎に妻子はいたものの、実質的には太郎の実姉である控訴人甲野松子が殆ど唯一の身内として一六年近くにわたつて太郎の保護責任者として入院中の面会をし、時には自宅に同人を招き、病状や将来を案じてきたことが認められ、一人身の同控訴人とすれば、太郎の突然の本件事故死により精神的な苦痛を被つたものと推認されるから、同控訴人は、民法七一一条の類推適用により、被控訴人に対して同控訴人固有の慰謝料を請求できる筋合いであるところ、前記認定の諸般の事情を総合すれば、同慰謝料としては二〇〇万円をもつて相当と認める。
2 葬祭費
右三、1の認定事実によれば、同控訴人が太郎の死亡による葬式を主宰したことは認められるが、その具体的な金額についての証拠がないので、その葬祭費としては三〇万円をもつて相当と認める。
五 弁護士費用
控訴人らが、その訴訟代理人弁護士二名に本訴の提起、追行を委任していることは明らかであるが、本訴を概観すれば、被控訴人に請求できる弁護士費用としては、控訴人甲野花子が二〇万円、同甲野一郎及び同甲野春子が各一〇万円、同松子が二三万円をもつて相当と認める。
六 結論
以上によれば、控訴人らの本訴請求は、被控訴人に対して、民法四一五条及び同法七〇九条に基づく損害賠償として、控訴人甲野花子が二二〇万円、同甲野一郎及び同甲野春子が各一一〇万円、同甲野松子が二五三万円並びにこれらに対する本件事故後である昭和六二年四月三日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余は失当として棄却を免れないから、これと結論を一部異にする原判決を右の趣旨に従つて変更し、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条、九二条、九三条一項ただし書を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 鎌田泰輝 裁判官 川畑耕平 裁判官 簑田孝行)